2025年02月04日
日本には現存天守が12城残っています。
「現存天守」とは、築城されてから現在まで残っている天守のことです。
ほとんどのお城は戦争や火事、廃城令などによって当時建てられたお城はなくなっているのですが、
その地域の人たちなどによって再建されたりされなかったりしています。
お城巡りを始めてから「現存天守12城は行こう!」と話し、2014年から始めたお城巡りですが、ついに去年の4月に最後の弘前城に行けました。
今回は北から6城についてです。
・弘前城(青森県)
2024年4月に桜を見に行きました。
弘前城は今は本来の位置には無く、本丸内部へ70mほど曳家(ひきや)されている状態です。
人の手で、みんなで引っ張って移動させている様子が展示されていました。
2023年に行こうと思ったが、桜が散っていてその時は断念し、2024年にリベンジしたのですが、それでもちょっと早く、桜が咲いたらまた来てね!というような割引券をもらいました。
しかし、翌日リベンジしよう!という話になり、再度行ったら咲いてました!
1日でこんなに咲くものかと…
夜は無料で入れました。
ついでに青森ワッツの試合も1Qだけ見ました。
・松本城(長野県)
2016年夏、2018年冬
松本城は黒いので烏城(からすじょう)と呼ばれることもあるが松本城管理事務所は歴史的な文献に存在しないとして否定している。らしい。。
水面に映るお城もかっこいいです。
松本城下町はいろいろなお店があり、見るところはたくさんありました。
山賊焼きというのが名物だったと思う。
あとはお蕎麦。
ingressというゲームで自転車に乗って山の方まで行ったなぁという思い出…
・丸岡城(福井県)
2023年秋
名古屋を車で出発して、岐阜城に寄ってから福井・金沢へ。
岐阜城は山の上にある「山城」のため、ロープウェイで上りました。
眺めが最高だった。
福井で一泊して、朝一に越前大野城にかかる雲海を見に行ったが、年に10回出るかどうか。というものだそうで、雲海は見られず…。こんな低い位置に雲海はそりゃ難しい。。
めちゃめちゃ山道を登ったが残念。
雲海に浮かぶ越前大野城は見られなかったが、越前大野城そのものへ。
その後に丸岡城へ。
現存する最古の天守らしい。
小さめのお城だった。
お城の隣の建物でお蕎麦を食べた。
金沢へ向かう途中に東尋坊に寄った。
何か事件が起きそうな匂いがした。
金沢城は、城下町を堪能し、夜間拝観ができるということで油断していました。
夜は建物の中に入れないそうでした。。
夜の兼六園を見れたのはとてもよかった。しかも無料。
典型的な平山城で、本丸、二の丸、三の丸、新丸、北の丸、玉泉院丸の曲輪があった。
1602年、落雷により天守閣を焼失後は再建されず、代わりに三階櫓が建てられた。
大名の力を象徴する天守に徳川家が目を光らせていたために天守を再建しづらかったそうです(Wikiより)
「金沢城」は存在しないようです。見られる部分は、暗い中ではあるものの、だいたい見られました。
この時、チームラボとのコラボでライトアップ以上のライトアップがされており、石垣にプロジェクションマッピングが映し出され、本当にお祭りでした。
・犬山城(愛知県)
2017年夏
まだ車を使わずに旅をしてたころ
駅から犬山城までそこそこ歩く。
天守は現存する日本最古のものだそうです。
すぐ近くに日本庭園 有楽苑 というお庭があり、そこでお茶を飲んだりお菓子を食べたりできました。
城下町も華やかで良かった印象。
・彦根城(滋賀県)
犬山城と同じタイミングで彦根城へ
1604年から約20年かけて完成した近世城郭だそうです。
城下町で食べた 麺匠ちゃかぽん「赤鬼うどん」がとても美味しかった。また行きたい。
https://www.sennaritei.jp/site/tyakapon/
彦根城には、かの有名な元祖ゆるキャラひこにゃんもいらっしゃった。
その後さらに清洲城へ。
清須城も名古屋城築城の際の資材として利用され、特に、名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られた。
慶長18年(1613年)名古屋城の完成と城下町の移転が完了したことにより廃城となった(Wikiより)
・姫路城(兵庫県)
2014年冬
神戸のルミナリエに行って
翌朝、始発で竹田城跡の雲海を見に。
この時もまだレンタカーはしてなく、タクシーを手配して、運転手さんに連れて行ってもらった。
竹田城跡が見える反対側の山に登って見下ろす形になるのだけど、ココというポイントでは見られず、運転手さんがもう一個のポイントに連れて行ってくれた。
粘って粘ってやっと雲海が出た感じだったと思ったが、雲海・・?
その後に竹田城跡へ行き、雪の中探索。
電車を待ってる間、お茶で入った古民家にコタツがあったの良かった。
その後に姫路城
真っ白なお城。
確か塗り替えられた直後だったと思う。
工事が調度終わったタイミングでした。
少し早かったら見られなかったでしょう。
別名は白漆喰(しろしっくい)が施された城の姿をシラサギにたとえ白鷺城(はくろじょう)、白鷺城(しらさぎじょう)。
昭和20年(1945年)には、 2度にわたって米軍の空襲にさらされたものの、奇跡的に焼失を免れた。
京都の二条城は落雷で焼失してるのに残ったのはすごいですね。
あんまり写真が残ってませんでした・・。
まだこれで6個か。
また気が向いたら・バスケ以外の書こう。という気になったら続きを書きたいと思います。
ありがとうございました。